【東京オリンピック】バスケットボールのファジーカスニックが日本に帰化した決意とは?

バスケットボール

東京オリンピックのバスケットボール「ファジーカスニック」選手が、日本に帰化したとニュースはもうご覧になりましたか?
日本男子バスケットボール界ではかなり大きなニュースになっています。

バスケットボールのファジーカスニック選手に注目し、日本に帰化した経緯や、基本的なプロフィールなどをご紹介します。

東京オリンピックのバスケットボール「ファジーカスニック」が帰化した経緯

東京オリンピックのバスケットボール「ファジーカスニック」選手は、2018年4月に日本に帰化しました。
ですが、なぜNBA選手だった時期もあったファジーカスニックが日本を選んだのでしょうか?

ファジーカスニック選手は、NBAの選手だったころは、ケガに悩まされ、実力を発揮できなかったことから、いい評価を得られませんでした。
NBA以降、ヨーロッパやフィリピンにも行き、プレイしてきましたが、なかなか馴染むことができませんでした。

そして、東芝(川崎ブレイブサンダース)から声をかけられ、日本でプレイすることとなりました。

チームメイトともすぐに打ち解けることができ、気づけばチームだけでなく、日本男子バスケ界にとって、なくてはならない存在となっていたのです。

日本に帰化することはファジーカスニック選手自身が決めたことであって、周囲から帰化をすすめられたということではありません。
これからのバスケットボール人生を、日本で歩んでいくことを決意したということなのでしょう。

彼のこの決断は、日本男子バスケットボール界にとって、明るいニュースであることは間違いありませんね。

ファジーカスニック選手の基本プロフィールについて

東京オリンピックのバスケットボール「ファジーカスニック」選手のことを、皆さんはどのくらい知っていますか?

1985年6月17日生まれ
アメリカ出身
身長は210㎝
体重は111㎏

これが基本プロフィールです。
外人の方は年齢がなかなかわかりにくいので、ファジーカスニック選手の年齢を知らない方も多いはずです。

1985年生まれですから、2019年9月時点では34歳ということになり、東京オリンピックが開催される頃にはすでに35歳になっていることになります。
おそらくこの年齢を聞いて、想像していたよりも上だったことに驚いた方は少なくないでしょう。

ファジーカスニック選手は、ネバダ大学時代に当時の他の選手が持っていた得点記録とシーズン得点記録を塗り替えて殿堂入りを果たしています。

2007~2008年はNBA入りを果たしましたが、思うように実力を発揮することができずに終わってしまいました。

その後は、

・ベルギーリーグ
・フランスリーグ
・NBADLリーグ(現Gリーグ)
・フィリピンリーグ
・アセアンリーグ

と、様々な国でバスケットボールを続けていました。

そして2012年、当時の東芝ブレイブサンダース(川崎ブレイブサンダース)から声をかけられ、日本でプレイすることになりました。

いくつもの国を渡り歩きプレイをする中で、やっと彼自身がここでずっとやっていきたいと思えるチーム、それが日本の川崎ブレイブサンダースだったのです。

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ファジーカスニックが日本代表を変える!

ファジーカスニック選手が帰化した後に日本代表として出場した、ワールドカップ予選。
彼は6試合に出場し、連敗中だった日本チームを勝利へと導き、見事に本大会出場権を獲得することができました。

元々日本代表はインサイドが弱く、強化ポイントだったのですが、彼が日本代表チームに加わったことで強化することができています。

ファジーカスニック選手の存在が、男子バスケットボール日本代表チームを変えてくれる存在であることは間違いありません!

まとめ

東京オリンピックのバスケットボール「ファジーカスニック」選手は、日本に帰化したことで、これからの日本男子バスケットボールは一層盛り上がっていくはずです。

ワールドカップ本大会の出場権を自力で獲得できたのは、ファジーカスニック選手がいたからといっても過言ではありません。

東京オリンピックが開催されるということで、男子バスケットボールにも注目が集まっています。
ファジーカスニック選手をはじめ、竹内兄弟、テーブス海、八村塁、渡辺雄太など、実力のある選手が多数います。

メダル獲得も狙えるかもしれませんね!

どの選手がオリンピックの舞台でプレイができるのかはまだわかりませんが、日本に帰化したファジーカスニック選手、これからも応援よろしくお願いします!

最後までお読みいただきありがとうございました。

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