東京オリンピックの射撃の石原奈央子選手の所属は神社となっており、自身がその神社で神主として働いています。
どうして石原選手は神主になったのでしょうか?
石原奈央子選手がクレー射撃を始めたきっかけや、彼女のプロフィール、さらに神主となった経緯などもわかりましたのでご紹介していきます。
東京オリンピックの射撃の石原奈央子選手がクレー射撃を始めたのはいつ?きっかけは?
東京オリンピックの射撃の石原奈央子選手が本格的にこの競技を始めたのは32歳になってからでした。
石原選手の実家の隣には射撃場があり、小さいころからおじさんたちが銃を持っている姿を目にしていました。
その銃に触ろうとすると当然のことながらおじさんたちに怒られました。
「銃を触れるのはおじさんたちだけ」というイメージがあり、子供心にいつの日か自分もそれに触れるようになりたいと思うようになりました。
また、石原選手のお父さんは有名な実力ある元クレー射撃選手であったことも、彼女がこの競技を始めるきっかけの一つとなったはずです。
日本には銃刀法という規制があり、20歳になってからでないと銃の免許を取得することができません。
銃に興味をもってはいましたが、免許を取得するためには何度も警察に足を運んだりしなくてはならず、結局石原奈央子選手が免許を取得できたのは、23歳の時でした。
普段手にすることのできなかった銃を手にした時のその重みや火薬のニオイ、打った瞬間の衝撃などが合わさり、クレーを撃ち落とした瞬間が楽しいとご本人は語っていました。
東京オリンピックの射撃の石原奈央子の基本情報!なぜ神主になった?
東京オリンピックの射撃の石原奈央子選手のプロフィールは、
1974年10月22日生まれ(2020年1月時点で45歳)
身長は158㎝
体重は66㎏
所属は古峯神社
となっています。
年齢的にみて、結婚していて子供がいてもおかしくありませんが 、石原奈央子選手が結婚しているのかどうか、子供がいるのかどうかといった情報は全くなく、今回の調査ではわかりませんでした。
所属が神社となっているのが珍しく、「間違ってない?」と思う方もいるかもしれませんね。
実はこの古峯神社というのは、石原奈央子選手の実家だったのです!
この神社、1300年という長い歴史のある神社で、「天狗の社」と呼ぶ人もいます。
大学時代に歴史文化学科で学び、神主となりご実家の小峯神社で働きながら、クレー射撃選手として日々練習を重ねています。
実家が古くから続く神社だったということで、彼女が神主となるのも自然な流れだったのかもしれませんね。
射撃場はこの神社の敷地内にあるようで、明治時代につくられたという情報があり、これが本当であれば、かなり昔からあったということになります。
石原奈央子選手の実家は、代々射撃一家だったということもあり、お父さんは先にも書いている通り元クレー射撃選手でオリンピック日本代表でした。
ですが、1968年のメキシコオリンピックではクレー射撃協会の不祥事、さらに1980年のモスクワオリンピックでは日本がボイコットしたため、日本代表となりながらもオリンピックに実際に出場することができませんでした。
今回石原奈央子選手が日本代表として東京オリンピックに出場できることを、きっとお父さんは喜んでくれているでしょうね。
東京オリンピックの射撃の石原奈央子の戦績をチェック!
東京オリンピックの射撃の石原奈央子選手は、これまでどんな成績を残してきたのか調べてみました!
2016年 リオデジャネイロオリンピック出場
2018年 アジア大会 7位
2019年 アジア選手権 16位
2019年11月に行われたアジア選手権で16位となり、東京オリンピック日本代表に内定となりました。
イタリアに留学経験もあり、射撃のレベルも着実にアップさせている石原選手。
メダル獲得も期待していいのではないでしょうか。
【東京オリンピック】射撃の石原奈央子のまとめ
東京オリンピックの射撃の石原奈央子選手は、実家である小峯神社の神主として働きながら、クレー射撃の腕を磨き、東京オリンピック日本代表に内定となりました。
45歳という年齢ですが、過去にリオデジャネイロオリンピックにも出場しているオリンピック経験者です。
二度目のオリンピック、どんな戦いを見せてくれるのか楽しみですね。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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